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2011年5月19日up

オーガニック生活便の新メーカー「ネローラ花香房」を訪ねて。

アイシス編集部が取材してきました。

本当に驚くほど美しく透き通っている水俣の海。

アイシス編集部の水上は、甘夏の花摘みを森田恵子さんに指導してもらいました。

小さな花ですが、とてもいい香り。
この甘夏の花がネロリ水になります。

次々と慣れた手つきで、甘夏の花を摘む森田さん。
さすが「ネローラ花香房」の代表です。

笑顔がやさしい森さん。
もう30年以上もオーガニックの甘夏を作り続けています。

水俣の海が見えるオーガニック甘夏畑。
甘い花の香りに包まれています。

わきあいあいとみんなで、摘み取った花の仕分けをしています。

オーガニックの甘夏からは安心のママレードも作れます。森田さんと「はんのうれん」の大澤さん。

有機栽培の甘夏の花が香る水俣市からのメッセージ

日本で最初の公害問題が出た熊本県の水俣市は今、オーガニックに関心が高い地域として知られるようになっています。そこには30年間以上にわたって有機栽培されてきた甘夏の畑があります。その甘夏から極上のネロリ水が採れることがわかり、3年前に「ネローラ花香房」がスタート。水俣市の再生を願う新たな試みが注目されています。5月7日、アイシス編集部は、ネロリ水の原料となる甘夏の花が満開となる現地を訪れました。

有機栽培の甘夏畑で花摘み

5月7日、アイシス編集部は、東京から鹿児島空港経由で、水俣市に到着。待っていたのは「ネローラ花香房」の代表、ジーンズの森田恵子さん。彼女の車に導かれて、曲がりくねった上り坂の道を進むうちに、ほのかな花の香りが流れてきました。
山の上では、甘夏畑が広がり、白く愛らしい花を枝いっぱいに咲かせていました。顔を近づけると、甘くうっとりとする香りが鼻をくすぐりました。「この花がネロリ水の原料になるんですよ」と笑顔の森田恵子さん。初対面は森田さんが熊本から東京のアイシス編集部を訪れたときでしたが、ここではとてもいきいきとしている表情に驚かされました。

甘夏の木が並んだ畑の中では腰に籠をつけた人たちが花摘みをしていました。
「シルバーセンターの方たちなんです。甘夏の花の摘み取りをお願いして3年目になりました」。「なかには一人で5キロもとる方がいらっしゃるんですよ。その方は60代、その元気さにこちらがかえって励まされます」。

みかん畑の中を、携帯電話を片手に走り回っている森田恵子さん。その姿に、環境に良いことを仕事にし、地域の老人を元気にし、そしてこの水俣市の痛みのある体験を伝えていきたいという意気込みが伝わってきました。

甘夏の花から上質のネロリ水ができる

森田さんは、国際交流や環境教育について長年、活動してきた人。国際交流として甘夏の花摘みをしていましたが、あるとき、花で蒸留水を作ってみました。専門家に調べてもらうと、それは上質のネロリ水であることがわかりました。食べ物として売るだけではなく、スキンケアとしても、この甘夏を使うことができたら……。そんな夢が広がりました。 「誰かにやってもらうのを待っていても仕方がない。私がやらなければ」と森田さんは、思い切って「ネローラ花香房」を立ち上げました。

オーガニックで水俣市を再生

この日、森田さんが案内してくれたのは、生産者のひとりである森義純さんの畑でした。「もう30年以上、甘夏の有機栽培をしています」と日焼けした顔の中でやさしい目が笑っていました。森さんの山の中腹の畑は、美しい山並みに囲まれていました。畑の一面からは、「不知火海」(しらぬいかい)が望めます。水俣病という苦い経験を克服して、今では、海底が透き通るほど美しく再生した海です。風に揺れるいくつもの白い花をつけた枝が再生を祝う、華やかな贈り物のように見えてきました。

森さんは、「はんのうれん(反農薬連)」という有機栽培の生産者グループの一人。今年の「ネローラ花香房」の原料となる甘夏は、「はんのうれん」の生産者6人が栽培しています。有機の甘夏の生産者たちは、昔は、みかけが悪いからと、農協から引き取ることを断わられたり、水俣の産地で育ったというだけで売れなかったなどの苦労をしていました。そんな苦労をなんとか乗り切ろうと、1979年、水俣病裁判に関わった人たちが中心となって「はんのうれん」をたちあげ、独自で販売先を開拓して「自主販売」を始めました。現在、生産者は80世帯を超えています。
「はんのうれん」は、結成当初から水俣病被害の教訓をふまえ。「農薬は毒である」ということを会員共通の痛みとして、有機栽培の甘夏をはじめとする柑橘類、野菜を出荷しています。

世代を超えて受け継がれる水俣のオーガニック

そんな「はんのうれん」の取り組みは、今では次世代に受け継がれています。甘夏の花の出荷責任者を務めているのは、20代の大澤菜穂子さん。全国に向けて販売活動を続けた父の大澤さんの意思を受け継ぎ、弟の基夫さんと一緒に「はんのうれん」の農水産加工部門で働いています。
大澤さんのお気に入りは、甘夏から作ったママレードの加工食品。「甘みを抑えた、すごくおいしいママレードなんですよ」。なるほどオーガニックだから、実はもちろん、花も皮もまるごと、安全なものができるわけですね。

「ネローラ花香房」の若いスタッフ、赤松京美さんからこんな話を聞きました。「花摘みをするときは、みなさんにネロリ水をつけてねとすすめています。そうすると日焼けしないんですよ」。さすがネロリ水の嬉しい効果ですね。
甘夏の生産者の一人である杉本さんはこんなことを言っています。「甘夏の花が化粧品になるとは思ってもいなかった。無農薬で作り付けたことのご褒美をもらったような気分」。会社を立ち上げた森田さんにとっては、そんな生産者の喜びが大きな励みになっています。

水俣病とは

1956年に、熊本県水俣市で日本最初の公害病である水俣病が確認されました。体調が悪い人が増え、突然猫が痙攣死したり、もがきながら狂い死にする人までが出ました。水俣市は、古くから「魚湧く海」と言われたほど、豊かな不知火海に面しており、漁業が盛んな地域でした。平和な漁村の生活は破壊され、原因不明の奇病あるいは伝染病という誤解ゆえに人々の気持ちもまた揺れて分断されました。
長いときをかけて、ようやく化学肥料を作るチッソ工場が海に流していたメチル水銀を含む廃水が原因であることを認めました。
今、水俣湾は、水銀に汚染された魚は処分され、海底に溜まった水銀を含んだヘドロを取り除いて埋め立てる工事も終わり、きれいな海に戻りました。漁業も再会され、泳いだりできるようになり、水の透明度は熊本県のなかでもきれいな海に数えられています。人の手で自然も人の健康もあっけなく破壊されてしまった水俣病。しかしこの後も、「新潟県の水俣病」、「イタイイタイ病」、「四日市ぜんそく」などの公害病が起きています。

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