自然エネルギー&オーガニック最先進国 part2

川沿いの城

国民投票で「原発NO」を決めた国、
オーガニック農地の割合はヨーロッパNO.1

「ウィーンの森」や「美しく青きドナウ」など、豊かな自然と芸術の国オーストリア。
じつは、ヨーロッパで一番の有機農地の割合が多いオーガニック先進国です。
また早くも1978年、オーストリアは国民投票によって「原発NO」という選択をしました。
アイシス編集部は、「自然エネルギーとオーガニックの最先進国」、オーストリアを取材しました。

原発稼動を止めた 女性たちとの出会い

自転車に乗る女性 東京を出発する前に、アイシス編集部は、ツヴェンテンドルフ原発を管理している電力会社の担当者とアポイントを取っていた。

そのアポイントより少し早い時間だったので、通り沿いの喫茶店に立ち寄った。ドアの看板には「アートカフェ」とあった。店内が薄暗かったので、まだ空いていないのかと思ったら、白い口髯の主人が、にこやかに「どうぞ」と招いた。

草花が植えられている、心地良さそうなテラス席に座った。まもなく大きな隣りのテーブルに、女性が一人、二人とやってくる。じきに7人の女性がそのテーブルを囲んでいた。50代後半から60代初めと見える女性たち。活気づいて話しているので、「どんな集まりなのですか」と声をかけた。最初に来た女性がにこやかに答えた。「毎週木曜日の朝は、このカフェで、みんなで朝会をする約束になっているんですよ」。

そしてじつはオーストリアの有機農地の割合はヨーロッパ一。それに加えて「原発NO」という選択をしているというのだ。

ヨーロッパでオーガニックな国というと、日本ではドイツやスウェーデンというイメージが定着している。だが、それらの国に原発があること(ドイツ17基、スウェーデン8基)を考えると、オーストリアこそ本物のオーガニック最先進国というべきではないか。

それから8ヵ月後の夏、アイシス編集部は、オーストリアの取材へと出発。同行者は、中村実代さん。12年間、日本で、ドイツ発祥の国際オーガニック見本市「BIO FACH」の東京事務局を主催してきた人だ。現在は、日本と世界を結ぶオーガニックサイト「GON(グローバル・オーガニック・ネットワーク)」を運営している。(→http://organicnetwork.jp 原発を反対してきた女性たち 「賛成した人たちは、どんな理由だったのですか?」
「職場ができるからですよ」。
やはり、どこでも事情は同じようだ……。

「それで、当時、あなたたちはどうしたのですか?」
「私たちは反対派でした。当時は、みんなまだ20代でしたよ」。
どっと笑い声があがる。

「みんな、もちろん国民投票では、反対票を入れましたよ」。
じつはテーブル女性たちの中に、前市長の奥さんもいるとのこと。彼女たちは、もともと級友たちで、当時、積極的に反対運動に関わった仲間だった。

1977年、ツヴェンテンドルフの原子力発電所の稼動を止めようと、9人の母親たちがハンガーストライキを行った。それが、反原発運動を盛り上げるきっかけになった。翌年1978年11月5日、国民投票によって、オーストリアは原発を使わないことを決定した。

カフェで話を聞くうちに、彼女たちは、このツヴェンテンドルフ市で、ついに原発を稼動させなかったことをとても誇りにしていることが伝わってきた。

ここは世界一安全な原発

原子炉
歩いていく先に広がる蕎麦畑の向こうに、箱型の建物と赤と白に塗り分けられた高い煙突が見えてきた。ツヴェンテンドルフ原子力発電所だ。空は青く晴れ渡り、日射しの中、蕎麦畑の向こうに見える廃墟の原発は、かつて激しい反対運動があったとは思えないほど、のどかな光景に溶け込んでいた。

ツヴェンテンドルフ原子力発電所では、電力会社「EVN」の社員であるステファン・ザッハさんが待っていた。彼はアイシス取材陣をミーティングルームに案内した。

アイシス『この原子力発電所は、どこの会社が作ったのですか?』

ステファン『1976年、私たちの会社「EVN」によって作られました。しかしそれから2年後の国民投票の決定によって、原子力発電所はついに一度も稼動しないまま、その後の運営は「EVN」に任されました。』

アイシス『今、この稼動していない原子力発電所はどのように使われているのですか?』

ステファン『現在、ドイツやインドなど、他国の原発の研修などに使われています。』

アイシス『もしここで原発が稼動していたら、そこから出てくる使用済み核燃料は、どこに捨てるかは決まっていたのですか?』

ステファン『ウクライナです。
でもウクライナに住む人々にとってそれは危険では、という思いがよぎる。チェルノブイリ原発事故があったウクライナは、他国からの放射性廃棄物の捨て場になってしまうのではという懸念が出ているとも聞いた。』

その後、ステファンさんは、原子力発電所の内部を案内してくれた。通路の壁に「ここは世界一安全な原発です」とユーモラスなポスターが貼られていた。

センターである制御室には、無数のボタンがついたコンピューターが並んでいた。
「まるでUFOの内部のようでしょう」と、ステファンさん。たしかに原子力発電所の内部には、現代科学の最先端技術が凝縮されていることを目の当たりにした。

福島原発以後、 世界中から訪問者が急増

原発の説明
途中で、案内人はステファンさんから、施設の管理者に代わった。

「プルトニウムがこの上にあり、ここは水に満たされていたはずの場所です」。

もし原子力発電所が稼動していたら、そこには絶対に入れない場所を私たちは歩き回った。
「じつはこの発電所は、福島原子力発電所と同じ『沸騰水型』なので、あの震災の直後は、ヨーロッパ中の記者がここに見に来ました」。
なるほど、一度も核燃料を入れたことのないこの原発なら、放射能汚染の不安を考えずに原子力内部の取材ができるわけだ。



川沿いの城

国民投票で「原発NO」を決めた国、
オーガニック農地の割合はヨーロッパNO.1

「ウィーンの森」や「美しく青きドナウ」など、豊かな自然と芸術の国オーストリア。
じつは、ヨーロッパで一番の有機農地の割合が多いオーガニック先進国です。
また早くも1978年、オーストリアは国民投票によって「原発NO」という選択をしました。
アイシス編集部は、「自然エネルギーとオーガニックの最先進国」、オーストリアを取材しました。

原発稼動を止めた 女性たちとの出会い

自転車に乗る女性 東京を出発する前に、アイシス編集部は、ツヴェンテンドルフ原発を管理している電力会社の担当者とアポイントを取っていた。

そのアポイントより少し早い時間だったので、通り沿いの喫茶店に立ち寄った。ドアの看板には「アートカフェ」とあった。店内が薄暗かったので、まだ空いていないのかと思ったら、白い口髯の主人が、にこやかに「どうぞ」と招いた。

草花が植えられている、心地良さそうなテラス席に座った。まもなく大きな隣りのテーブルに、女性が一人、二人とやってくる。じきに7人の女性がそのテーブルを囲んでいた。50代後半から60代初めと見える女性たち。活気づいて話しているので、「どんな集まりなのですか」と声をかけた。最初に来た女性がにこやかに答えた。「毎週木曜日の朝は、このカフェで、みんなで朝会をする約束になっているんですよ」。

唐突に思われるかもと、ためらいながらも質問を継いだ。「じつは私たちは日本から取材に来ました。35年前、ここに原発ができたと聞いていますが、そのとき町はどんな様子でしたか?」

こちらの躊躇に反して、すぐさま一人の女性から答えが返ってきた。
 「町中、騒然となりました。反対する人が多い中、賛成する人もいましたから」。
周りにいる女性も一斉に頷く。そんな素早い反応が、ここにいる女性たちにとって、ツヴェンテンドルフ原発は遠い過去のことなどではないことをうかがわせた。

原発を反対してきた女性たち  「賛成した人たちは、どんな理由だったのですか?」
 「職場ができるからですよ」。
 やはり、どこでも事情は同じようだ……。

 「それで、当時、あなたたちはどうしたのですか?」
 「私たちは反対派でした。当時は、みんなまだ20代でしたよ」。
どっと笑い声があがる。

 「みんな、もちろん国民投票では、反対票を入れましたよ」。
じつはテーブル女性たちの中に、前市長の奥さんもいるとのこと。彼女たちは、もともと級友たちで、当時、積極的に反対運動に関わった仲間だった。

1977年、ツヴェンテンドルフの原子力発電所の稼動を止めようと、9人の母親たちがハンガーストライキを行った。それが、反原発運動を盛り上げるきっかけになった。翌年1978年11月5日、国民投票によって、オーストリアは原発を使わないことを決定した。

カフェで話を聞くうちに、彼女たちは、このツヴェンテンドルフ市で、ついに原発を稼動させなかったことをとても誇りにしていることが伝わってきた。

ここは世界一安全な原発

原子炉 歩いていく先に広がる蕎麦畑の向こうに、箱型の建物と赤と白に塗り分けられた高い煙突が見えてきた。ツヴェンテンドルフ原子力発電所だ。空は青く晴れ渡り、日射しの中、蕎麦畑の向こうに見える廃墟の原発は、かつて激しい反対運動があったとは思えないほど、のどかな光景に溶け込んでいた。

ツヴェンテンドルフ原子力発電所では、電力会社「EVN」の社員であるステファン・ザッハさんが待っていた。彼はアイシス取材陣をミーティングルームに案内した。

アイシス
この原子力発電所は、どこの会社が作ったのですか?

ステファン
1976年、私たちの会社「EVN」によって作られました。しかしそれから2年後の国民投票の決定によって、原子力発電所はついに一度も稼動しないまま、その後の運営は「EVN」に任されました。

アイシス
今、この稼動していない原子力発電所はどのように使われているのですか?

ステファン
現在、ドイツやインドなど、他国の原発の研修などに使われています。

アイシス
もしここで原発が稼動していたら、そこから出てくる使用済み核燃料は、どこに捨てるかは決まっていたのですか? 

ステファン
ウクライナです。

でもウクライナに住む人々にとってそれは危険では、という思いがよぎる。チェルノブイリ原発事故があったウクライナは、他国からの放射性廃棄物の捨て場になってしまうのではという懸念が出ているとも聞いた。

その後、ステファンさんは、原子力発電所の内部を案内してくれた。通路の壁に「ここは世界一安全な原発です」とユーモラスなポスターが貼られていた。

センターである制御室には、無数のボタンがついたコンピューターが並んでいた。
「まるでUFOの内部のようでしょう」と、ステファンさん。たしかに原子力発電所の内部には、現代科学の最先端技術が凝縮されていることを目の当たりにした。

福島原発以後、 世界中から訪問者が急増

原発の説明 途中で、案内人はステファンさんから、施設の管理者に代わった。

 「プルトニウムがこの上にあり、ここは水に満たされていたはずの場所です」。

 もし原子力発電所が稼動していたら、そこには絶対に入れない場所を私たちは歩き回った。
 「じつはこの発電所は、福島原子力発電所と同じ『沸騰水型』なので、あの震災の直後は、ヨーロッパ中の記者がここに見に来ました」。
 なるほど、一度も核燃料を入れたことのないこの原発なら、放射能汚染の不安を考えずに原子力内部の取材ができるわけだ。