化粧品の原料の歴史

化粧品の原料の歴史



肌や髪を健康に保つための天然成分のスキンケアの歴史は、
人類が地上に現れた時からすでに始まっていると言っていいでしょう。

スキンケアは、美しさのためというより、まずは素肌やからだを
健康に保つためのものでした。

オーガニックコスメには、世界各地の植物療法の知識が活かされています。
つまりその知識は、何千年前もの人々が体験し、蓄積してきた貴重な文化遺産なのです。


古代エジプトの美容と化粧品

もっとも古い時代の化粧品が多く発見されているのは、古代エジプトの遺跡です。

エジプトのカイロ市にあるエジプト考古学博物館の一室を訪れると、アイシャドーなどを作るための鉱石を砕くパレット、香水瓶、細工を凝らした鏡、カツラ、アイライナーが入った小瓶などが展示されています。それらを眺めていると、今、使われている化粧品や美容器具のほとんどがエジプトに起源があることがわかります。

古代のスキンケアで注目すべきことは、化粧品は、自然療法に基づいた医薬品と等しいものだったことです。たとえばアイライナーを引くことはすでにエジプトから始まっていましたが、ただ目を美しく見せるためのものではなく、当地の強い日射しから目を保護することと、虫や細菌から目を守るためのものでした。
ですからエジプトの壁画を見るとわかるように、女性だけでなく、男性もアイライナーを使っていました。

エジプトのアイライナーは「コフ」と呼ばれ、現在でも中近東の女性たちの間で使われています。「コフ」にはいろいろな作り方があるようですが、そのひとつの製法は、殺菌作用を持つ植物のミルラやフランキンセンスの樹脂を焼いて微細なススを作り、そのススを集めたものを粘性の高いアムラと呼ばれる植物油で練ったものです。

つまり古代において、美容は医学と結びついており、化粧品は素肌の健康を保ったり、肌トラブルを癒す薬でもあったのです。 エジプトでよく使われてきたスキンケアのハーブをあげると、カモマイル、キク、ヒヨス、バジル、ギンバイカ、矢車草、チコリなど、今ではおなじみになっているハーブが数多くあります。それらがヨーロッパに伝わり、医療や美容に使われるようになりました。

インドのアーユルヴェーダと美容法

インドの伝承医学アーユルヴェーダにもまた、身体を調整する薬用植物の知識にとどまらず、素肌や髪を美しく健康にする化粧品の知識が残されています。ニームは、アーユルヴェーダでとくによく使われる植物で、現代の科学的データでも多くの薬効が認められています。<

 エジプトの「コフ」と呼ばれるアイライナーとよく似たものとして、インドにも「カジャル」というアイライナーがあります。
「カジャル」の製法は、殺菌力のあるニームやトリファラなどのハーブをギーと呼ばれる無塩バターと一緒に焼いて黒いススを作り、そのススをアーモンドオイルやココナッツオイルで練るものです。

「カジャル」は、11月の、一年でもっとも暗い夜=「デリヴァリの夜」に女たちが作っていました。「カジャル」はこれもまた目を守るためのものなので、女たちだけではなく、男や子どもたちも使っていました。

古来日本の美容法

日本でも植物の効用を利用した化粧品がありました。「紅皿(べに ざら)」といわれる杯(さかずき)に赤い色素を塗った口紅は、婦人病を予防し、血行を良くするといわれた紅花(べに ばな)が原料でした。

つまり昔の化粧品は、そのひとつひとつの成分が身体にとっても良い植物が選ばれていたのです。
現代のメイク用品の多くが、ただ外見を飾るという目的しかなく、肌や身体にとって良いものであるかどうかはほとんど考慮していないという点で、昔の化粧品とは対照的です。

日本でも平安時代には、美容法や健康法をまとめた『医心方(い しん ほう)』という書が書かれており、カンゾウ、オウバク、ヨモギなど、身近な薬草植物の使い方が記されています。

アナトリア(小アジア)の植物療法

医療と化粧品の深いかかわりを示す古代の痕跡は、エジプトだけではなく、アナトリア(現在のトルコのアジア側)にも数多く残っています。

紀元前7世紀頃からローマ時代にかけて、アナトリアでは、森の守護神である女神アルテミスの町、エフェソスが栄えました。現在、エフェソスの遺跡の傍らには考古学博物館があり、ガラスケースの中にエフェソスの神殿で発見された医療器具と美容器具が一緒に展示されています。そのことからも、古代においては、医療と美容は切り離せないものだったことがうかがわれます。

森の女神アルテミスの神殿で神官職を務める女性たちは、植物を使って病気を癒す治療医でもあり、助産師でもあり、そして美容家でもありました。神殿に訪れる人の悩みに応じて、女性神官たちが薬や化粧品を調合していました。

ちなみに森の女神アルテミスの名は、植物名のアルテミシア、すなわちヨモギの由来名になっています。
日本でもヨモギは、たいへん滋養の高い植物とされ民間療法でも使われてきましたが、アナトリアにもお産した後の女性に飲ませるという習慣があったようです。アルテミスがお産の女神であることを考えるととても興味深く思われます。

古代の女性たちは植物の神秘的な力を知り、それを美と健康のために使い、その知識を伝える主体者であり続けたのです。