「農家が有機農法をやれば食糧不足になる」、「有機農法は、大規模農法には向いていない」。
有機農業についてこんな声をよく聞く。
しかし農薬も化学肥料も除草剤も使わない農法で、大規模な野菜作りに成功しているところがある。
愛知県にある農事組合法人。ここでは土着の微生物を増やすことで、土そのものを健康にし、本当に元気な野菜作りをしている。
電車で愛知県の河和駅に到着。熊崎巌さんのにこやかな笑顔が待っていた。
丘に広がる畑を縫う道を過ぎて、農業資材がおいてあるプレハブの前で熊崎さんは車を止めた。
そのプレハブに入ると、熊崎さんはテーブルの上の4つの瓶を指差した。
「こちらの二つは、10年前に採ったお米を瓶に保存していたものです。
ほら、左側はそのまま粒が残っていますが、もうひとつはどろどろに溶けてしまっている」。
粒が残っているのは、農薬も化学肥料も使わずに作ったお米だった。
そして黒く溶けてもはや何かはわからないものになっているのが、農薬を使った慣行栽培のお米ということだった。
そのほかの二つの瓶は、ひとつにはたてに切った大根があり、もうひとつは濁った液体が入っていた。
「こちらは一年半前に瓶に入れた大根です。うちで作ったものは、まだしっかりと形がありますが、慣行栽培の大根はもうすっかり形がなくなっている」。
ぞっとしてきた。
改めて農薬を使うことが当たり前になっている現代の農業に不安を覚えた。
大部分の人は、慣行栽培のものを食べている。とにかくお米や野菜は健康のもとだと信じて……
「でもこんなお米や野菜では、血液がきれいになるどころか汚れてしまいますよ。免疫力がなくなるのも当たり前でしょう」。
その熊崎さんの言葉に深く頷くほかなかった。
一見、同じ形をしていても、慣行栽培の農産物と、化学物質にたよらずに育てられた農産物では、生命力がまったく違うことは明らかだった。
熊崎さんが運営する農事法人で作った野菜を食べたら、「アトピーが治った」、「体調が良くなった」という声がよく寄せられるという。だがそれは熊崎さんにとって、不思議なことではない。
「生命力のないものを食べているから病気になるわけだし、その反対に生命力のあるものを食べれば元気になるのは当たり前」とさらりと言う。
まずは、熊崎さんの農法について話を聞くことにした。
熊崎さんは自ら自然農法だという。その農法においてもっとも大切な柱になっているのが土着微生物だ。
「土のちょうど3センチまでのところに、その土地特有の微生物が一番、多くいるんです。
微生物には、土を元気にする蘇生型と土を駄目にしてしまう崩壊型がいるわけですが、蘇生型の微生物を増やす工夫をすれば、おのずと土は健康になります」。
「一番大切なのは、その土地にあった土着微生物なんです」。
「土着の微生物が増えてくると、びっくりするほど葉の色がきれいになってきます。作物もどんどんいいものができるようになるんですよ」。
畑からとれた玉ねぎの写真を見せてもらった。通常よりも2倍から3倍も根が長く伸びている。
「土がいいところで育った野菜は、栄養を吸収する白い根毛をどんどん伸ばすんですよ」。
ここのタマネギは、切った後、水にさらさなくても食べられるほどおいしいと評判だ。
そのほか大根などもプロの料理家が驚くほどの甘さだ。
「身がしまっているので、包丁にくっついてくるって言ってましたよ。うちではかなり大きめの7キロとか8キロの大根も採れますが、それでもスが入ることがないんです」。
評判は口コミで広がり、最近は次々と大手外食メーカーがやってくる。
「皆さん、畑を見て驚かれるけど、そんなたいしたことじゃないですよ。
だってほんの60年ほど前までは、農薬や化学肥料なんて使わない農業が当たり前だったんですから」。
これまで、レストランやそのほかお惣菜家さんなどと継続的な取引をしてきた。
生産者が大手の外食メーカーとつきあっていくには、大量の野菜を安定供給していくことが求められる。
それに応えてきたということは、農薬や化学肥料も使わなくても、大規模な農業も可能だということを実証しているわけだ。
タマネギは約200トン、大根は約300トンもの出荷をする年もある。
「土が健康になれば、採れすぎるぐらい、作物がとれるようになりますよ。去年、うちの畑がそうでしたね。
玉ねぎもかぼちゃも出来すぎてね。
だからたくさん収量を獲るために農薬が必要というのは嘘ですね、自然農法のほうが、ぐんと収量があがってくるし、わざわざ高い値段で売らなくてもいいぐらいになりますよ」。
有機農業でやれば、野菜はむしろたくさんできる。
「だから安い値段で売っても大丈夫」という熊崎さんの言葉に本当に驚かされた。
熊崎さんの話に耳を傾けるうちに、さらに驚かされたのは、「うちの畑には、連作障害というものがないんです」という言葉だった。
熊崎さんは淡々と言葉を続けた。
「むしろ毎年、同じ場所にキャベツならキャベツ、玉ねぎなら玉ねぎだけを植え続けたほうが、土がその野菜にあってくるんですよ。
微生物もそこに適したものになってくるからです」。
本やマスコミから拾った知識のたよりなさを改めて思った。
「農業には連作障害がつきまとう。有機肥料にしろ化学肥料にしろ使わなければ、その土地の栄養分がなくなってしまう」。
そういう考え方が、少しでも農業を学んだ人の常識になっているが、熊崎さんは断言する。
「自然に沿った農業をやれば田んぼには田んぼの、畑には畑の、そして果樹園には果樹に適した蘇生型の微生物が増えていくんです」。
とはいっても微生物にはエサがいる。
そこで肥料がいるわけだが、そのエサもほかから持ってくる必要がないという。お金で肥料を買う必要はない。その土地にあるものを活用すればいい、というのが熊崎さんの自然農法の基本だ。
「たとえば田んぼに一番適している肥料は、ワラです。
畑には草、そして果樹園には、落ち葉が一番適した肥料になるんです」。
熊崎さんは、畜産物の有機肥料についてはこう言う。
「畜産の排泄物は塩害と崩壊型の微生物が繁殖しやすく、悪臭がすごいです。しかし飼料の中に蘚生型の微生物を混入することによって、蘚生型の菌が先住菌になって熟成すれば素晴らしい有機肥料となります」。
とはいっても熊崎さんは、虫を有害なものとは考えていない。
「肥料になるものの形がまだ大きいときは、虫の助けが必要です。
団子虫やクワガタ、ミミズもね。
ミミズは落ち葉が朽ちて2年目になった頃につくんです。ミミズが出した糞には、蘇生型のとてもいい微生物がつくんですよ」。
「自然は必要なときに必要なものをくれる。雑草も微生物も虫も、豊かに健康に生きるために助けてくれているんですよ」。
そう言い切る言葉の力強さが、自然と長く向き合うことで得た確かなものが伺われた。
ところですでに農薬をたくさん使ってしまった畑は甦らせることができるのだろうか?
熊崎さんは、5年をかければできるという。
「まずは草を生やして、亜硝酸塩など土地に蓄積した悪いものをどんどん草に吸収させるんです。
次の年には、それを緑肥にして畑に撒く。
それを繰り返していけば、蘇生型の微生物が増えていって有害なものがじょじょに分解していきますよ」。
土のことが知りたかったら、森へいって観察をすることを熊崎さんはすすめる。
「落ち葉はね、5年目で本当にいい土になる。そのあたりには、木の根の白い根毛がすごい勢いで伸びているのを見ることができるはずですね」。
深刻なのは、土壌消毒剤のクロロピクリンなどによって、毎年、消毒が繰り返された土地だという。
土壌消毒剤は現在、大根やゴボウなどの根菜類、そしてサツマイモなどの栽培においては欠かせないものになっている。
「土壌消毒剤は土のなかの微生物をすっかり殺してしまって保湿力をなくしてしまいます。その先にあるのは、土が団粒構造を保てなくなって、砂漠化です」。
こういう土地で無農薬で野菜が作れるようになるまでには、少なくとも8年はかかるという。
「今の農業は、草や虫や微生物などの土地を再生してくれるものを、わざわざお金をかけて農薬を買って台無しにしてしまっているんですよ」と熊崎さんは眉を寄せる。
熊崎さんの自然農法は、50年以上にもわたって培われたものだ。両親も有機農業に徹していたという。
有機農業をやってきて良かったと思うのは、「自然がいかに偉大かを実感できたことですね。みんな、今、健康に不安を抱いていますが、真実はとてもシンプルですよ。
自然と調和して、自然のルールに沿って生きること、これしかありません」
熊崎さんにとって、最近よく言われる「自然と共生する」という言葉さえ、人間のおごりだという。
「人間はいつから自然と肩を並べるほどの存在になったんですかね。人間が自然よりも大きな存在であるはずがない」。
その言葉に、日々、土と向かい合ってきた人だけが見ることができる真実が伝わってきた。
「自然に調和した農業こそが本当の豊かさにつながるんです」。
熊崎さんの言葉が、心を強く打った。
安心を得るためには、なにかを犠牲にしなければならないというのは、土からあまりに遠ざかってしまった現代人の思い込みなのではないか。
安心は高いのではなく、じつは安心こそ豊かさなのだ。
まだ農薬などがなかった昔、オーガニック野菜は当たり前のものだった。
ふたたび、オーガニック野菜が特別なものではなく、当たり前のものになる日が来ることを切に願わずにはいられなかった。